地元暮らしをちょっぴり楽しくするようなオリジナル情報なら、流山市の地域情報サイト「まいぷれ」!
文字サイズ文字を小さくする文字を大きくする

まいぷれ広場のコミュニティスレッド一覧

九十九屋さんたの妖怪古今録 」コミュニティのスレッド一覧情報です。

1~12件/ 12件

  • 1
  •  
投稿者: 九十九屋さんた  さん

コメント(0

 お稲荷さんを皆さんはご存知ですよね。農家や商売をされていると家にあることもありますし、ないとしても近所を巡れば少なくないと思います。では、お稲荷さんはどんな神様なのでしょう。  お稲荷さんは神様としては、豊受大神や、宇賀之御魂命、御饌津神といった名前を持ちますが、稲にかかわる神という点では共通しています。つまりは稲の精霊の神様ですね。そんな神様...
作成日:2009/06/30 19:18:04

投稿者: 九十九屋さんた  さん

コメント(0

太田道潅は権現山に陣を張り、米本城を攻めていた。 足軽を用いた突撃戦法を得手とし、東の地にその人ありといわれた道灌ではあったが、この戦は苦戦であった。彼は神仏を敬う男でもあり、この戦にも守り本尊を持参していた。道灌は長引く戦いに、十一面観音菩薩に勝利を祈願した。祈願には供物が必要である。そして戦いは道灌の勝利に終わった。 それから時は流れ、百年あ...
作成日:2009/06/19 15:33:11

投稿者: 九十九屋さんた  さん

コメント(0

みなさんは人魚をご存知ですか? 私たちのイメージは既に人魚姫になっているのではないでしょうか。 恋する王子に気持ちを伝えることができず、空気の精となって消えた儚いイメージとは裏腹に日本では食材でした。 松戸の上本郷の風早神社の前にある六軒新田の村人が、長者の屋敷で宴に呼ばれました。長者は何を思ったのか、人魚の肉を振舞いました。人魚の事を召使たち...
作成日:2009/06/08 15:40:41

投稿者: 九十九屋さんた  さん

コメント(0

藪知らずは江戸時代名を広く知られるようになります。名をはせ始めた理由は、 前回の黄門さまのお話が、錦絵として流布したためです。 しかし、そこには藪知らずの由来については語られていません。 それは何なのでしょう。実はいくつか説あります。 ◆ヤマトタケル ヤマトタケルが陣所にしていた為、立ち入りを禁じた。千葉は松戸や、海神といったヤマトタケル関連の地...
作成日:2009/06/03 19:03:27

投稿者: 九十九屋さんた  さん

コメント(0

前回のお話で水戸黄門を取り上げましたが、実は結構な武人なのです。 水戸家といえば徳川本家で何かあったら、将軍職を継ぐ御三家の一つですから当然といえば当然なのですが。 イメージとしてはテレビの水戸黄門に置き換えられてしまっていますね。放映以前に作られた映画では類人猿や大蛇と戦っていますから、温厚な好々爺というのは実は最近のものなのです。そうしたイメ...
作成日:2009/06/03 19:01:11

投稿者: 九十九屋さんた  さん

コメント(0

妙正寺は正しい名を龍経山妙正寺といいます。名前を聞いたとき、ふと竜脈を思い出しました。竜脈というのは、風水で大地の気の流れをさします。竜脈は大地のエネルギーの豊富なところで、形を持たないものを祭ってある場合があります。それが時を経て、寺社になる場合は多いそうです。そうなると場所そのものの神聖さは割合影を潜め、のどかな信仰の地となっているときが多いで...
作成日:2009/04/21 17:23:02

投稿者: 九十九屋さんた  さん

コメント(0

【妖怪古今録】国府台合戦の予言  市川の国府台にある里見公園は、様々な歴史の舞台となりました。由来である府が置かれましたし、古墳もあります。また、源頼朝が陣を張った事も伝わっています。理由は地の利がいい為ですが、そうした場所は争いの中心になります。その中で、大きなものは国府台合戦があります。国府台での合戦は二度あり、二度目の戦いは、里見家と北条氏との戦いでした。  戦いの数ヶ月前...
作成日:2009/05/11 17:41:27

投稿者: 九十九屋さんた  さん

コメント(0

【妖怪古今録】岩田の刀自 少年は呆然と立ち尽くしていた。 目の前に広がるのは巨大な奇石と、その回りに転がる骸の原だった。帝の寵愛を得、国を乱した妖である九尾の狐。陰陽師阿部泰成に正体を見破られ、都を追われ落ちのびた先が、ここ那須の地であったのはどうだったのか。都人はいう。みちのく、既に人の領域でない場所に追い払えた。そう思っているのだから。だが、この地にも人は生きている。 ...
作成日:2009/05/11 17:43:11

投稿者: 九十九屋さんた  さん

コメント(0

八千代市の村上には片葉の弁天さまがあります。  片葉という言葉がある時、大抵そこには伝説が残っています。例えば小野小町の袖が触れた時に葉が落ちそのまま片葉になった。羽柴秀吉が鎌の切れ味を試した為に片葉になった。河童が助けてもらった恩返しに、安全な水辺には片葉の葦をはやした。凄惨なものもあり、戦の最中、川の浅いところを知ったものが恩賞欲しさに仲間を殺...
作成日:2009/05/21 15:03:28

投稿者: 九十九屋さんた  さん

コメント(0

ある夜の事、男が根木内の池にきた。 池は七頭の大蛇が出て、将軍家所縁の者に退治されたという。そんな池なので釣りをするものもなく、池には魚が多かった。釣り始めれば魚は簡単にとれ、怯えも欲に負けていった。気付けば魚篭は満杯になっている。 戻ろう。そう思った時、池の方で何かが動いたように思えた。 池の中、お堂が見えた。そこは蛇を祭っているという。聞こえ...
作成日:2009/06/03 18:25:01

投稿者: 九十九屋さんた  さん

コメント(0

1~2月、東葛の各地でおびしゃが行われます。 柏市船戸や、船橋の子神社、他にも何箇所かで行われる行事で、流鏑馬が走って馬で射るのにたいして、平地で射るものです。  もともと歩射祭が変化して、おびしゃになったといわれています。場所によっては鬼射と表記するところもありますが、この辺りでは平仮名表記が多いですね。 さて射抜く的になっているものを見ると、...
作成日:2009/05/28 10:17:04

投稿者: 九十九屋さんた  さん

コメント(0

 聖徳太子の事は皆さんご存知ですね。その像が今でも船橋の西福寺にあります。なぜかといいますと 江戸時代、講といわれる互助会のようなものがありました。その一つ太子講は、大工・左官・鍛冶屋な どの職人仲間の講でした。講では助けあったり、折々には太子の絵や像を飾り、宴を開いたといいます。 この像はその後なのです。  実は太子は伝説にも多くの足跡を残して...
作成日:2009/04/17 18:36:21

1~12件/ 12件

  • 1
  •